✏️ この記事を書いた人:わらびもち
北海道・釧路のデイサービスで生活相談員として12年以上勤務。介護福祉士・ケアマネジャー資格保有。実母の介護も経験しており、「介護のプロ」と「家族介護者」の両側面から発信しています。記事の内容は個人の経験・見解に基づくものです。医療・介護の具体的な判断は必ず専門家にご相談ください。
📌 この記事でわかること
- うつ病からの回復と再出発の話
- 介護の仕事を選んだ本当の理由
- どん底があったからこそ今がある、という気づき
人生で一番しんどかった時期のことを、少し話させてください。
2011年秋——仕事を辞めた日のこと
2011年の秋、わたしは仕事を辞めました。勤務中に突然声が出なくなり、息が苦しくなりました。その日は何とか勤務を終え帰宅しましたが……何もできなくなり、次の日から出社するのを辞めました。
100円ショップの店長として2店舗を掛け持ちしていましたが、気づいたときには体も心も限界を超えていました。うつ病でした。
その後の約2年間、わたしはほとんど何もできませんでした。仕事もせず、社会とのつながりも薄れていく日々。情けない、申し訳ない——そんな気持ちだけが積み重なっていきました。
そんなわたしを支えてくれたのは、妻と、妻のお母さんでした。何かを強いるわけでもなく、ただそこにいてくれる。そのことがどれだけ救いだったか、言葉にするのが難しいくらいです。
新しい生活、そして待ち望んだ命
40代に入り、家を建てました。義母との同居が始まりました。
生活が変わっていく中で、わたしたちにはもうひとつの願いがありました。子どもが欲しかった。でも、なかなか授かれませんでした。不妊治療を始めて2年。結婚してからは10年が経っていました。
そして——男の子が生まれました。
その小さな命を抱いたとき、わたしは思いました。
このままではいけない。
うまく言えないけれど、「守らなければならないものができた」というより、「やっと前を向く理由ができた」という感覚に近かったと思います。
介護の仕事へ——一念発起
介護の仕事を選んだのは、そこからです。
最初からフルタイムは難しかったので、まずパートから。夜勤のないデイサービスなら、家族のそばにいながら働けると思いました。
正直、介護に強い思いがあったわけではありません。でも、支えてもらった経験があったから——誰かの「そこにいてくれる」存在になりたいと、自然に思えた気がします。
今、ここに立っている
今、わたしは生活相談員として12年働き、ケアマネジャーの資格も取りました。相談員になった当時のてんやわんやはこちらに書いています。
あのどん底がなければ、今ここにいないと思うと、人生って不思議だなと感じます。
このブログでは、そんなわたしの視点から、介護のこと、日々のことを書いていきます。どうぞよろしくお願いします。
うつ病だった自分に、今なら言えること
あのころの自分に声をかけるとしたら、何を言うだろう、とよく考えます。
「頑張れ」は違う。「休んでいいよ」も、なんか薄い気がする。たぶん、「そこにいていいよ」かな、と思います。何もできなくても、社会の役に立てなくても、ただそこにいていい。それだけで十分だと。
うつ病になった当時、わたしは自分を責め続けていました。なぜ働けないのか、なぜ普通にできないのか、こんな自分がいても誰の役にも立てない——そんな言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
でも今振り返ると、あの時間は「消えた時間」じゃなかったと思うんです。立ち止まって、自分を見つめ直す時間だった。何が本当に大切なのか、どんな生き方がしたいのか。答えはすぐには出なかったけれど、じわじわと、ゆっくりと、わたしの中で育っていた。
介護の現場で出会った「支える」という言葉の重さ
介護の仕事を始めて、最初に驚いたのは「ありがとう」の多さでした。
お風呂に入るお手伝いをする、食事の準備をする、一緒におしゃべりをする。それだけのことで「ありがとう、来てくれてよかった」と言ってもらえる。最初は「こんなことでいいのかな」と戸惑うくらいでした。
でも、続けていくうちに気づきました。「そこにいてくれる」ことの価値。わたし自身が一番よく知っていることじゃないかと。
うつ病だったとき、義母はとくに何かをしてくれたわけじゃない。でも、存在してくれていた。笑顔で迎えてくれた。それだけで、どれだけ助けられたか。
介護の仕事って、「何かをする仕事」であると同時に、「そこにいる仕事」でもあるんだと、今はそう思っています。
家族の介護をしながら介護職として働くということ
義母と同居して、いつかは介護が必要になる日が来るとは思っていました。でも、実際にその日が来たとき——想像していたよりずっと複雑な気持ちになりました。
仕事では「家族の代わり」として利用者さんをサポートする立場。でも家に帰れば、今度は自分が「家族」として介護する側になる。この二重構造が、思いのほかしんどかった。
プロとして「こうすべき」という知識はある。でも、家族だからこそ感情が揺れる。腹が立つこともある。疲れてため息をついてしまうこともある。そのたびに「介護職なのに情けない」と自分を責めかけて——いや、待てよ、と立ち止まる。
家族の介護は、介護職だからといって楽になるわけじゃない。むしろ知識があるぶん、「もっとできるはず」と自分に厳しくなりすぎることがある。それは気をつけないといけないと、今でも思っています。
「なぜ介護を選んだか」という問いに、今の答え
この記事のタイトルに「介護を選んだ理由」と書きました。でも正直に言うと、最初は「選んだ」というより「ここなら始められそう」という感じに近かった。
どん底から這い上がろうとしていたわたしには、派手なキャリアチェンジをするエネルギーはなかった。ただ「誰かの役に立てる場所で、少しずつ働き始めたい」——そのくらいの動機でした。
でも12年続けて、今は確信を持って言えます。介護を選んでよかったと。
利用者さんの笑顔、「あなたが来てくれると安心する」という言葉、一緒に笑った瞬間——そういう積み重ねが、わたしを「ここでいい、ここがいい」と思わせてくれました。
どん底があったからこそ、今の仕事の意味が深く感じられる。人生って、本当に不思議なもんだなと思います。
続けてこられた理由——それは「完璧じゃなくていい」という気づき
介護職を12年続けてこられた理由を聞かれることがあります。「向いてたんですか?」と。正直に言えば、最初の数年は「向いてるかどうか」もよくわからなかった。
できないこともたくさんありました。利用者さんの言葉に返答できなくて、後で一人で落ち込んだこともある。家族との関係がうまくいかなくて、どうすればよかったのか頭を抱えたこともある。
でも、そのたびに思い出すのは、自分がどん底にいたときのことです。あのとき、誰も「完璧な支援」をしてくれたわけじゃない。ただそこにいてくれた。失敗しても、うまくできなくても、一緒にいてくれた。
だから、わたしも完璧じゃなくていい。ただそこにいて、誠実に関わる。それだけでいい。——そう思えるようになってから、少し楽になった気がします。
完璧な介護職より、誠実な介護職でいたい。今もそれが、わたしの仕事への向き合い方の基本になっています。
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